汚れなき悪戯

懸賞 2014年 12月 22日 懸賞


汚れなき悪戯 [DVD]

パブリート・カルボ,ラファエル・リベリュス,アントニオ・ビコ/アイ・ヴィ・シー

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テレビで「汚れなき悪戯」を放映していたので録画してみました。
原題は「パンとぶどう酒のマルセリーノ」。
キリスト教に馴染みの薄い日本人にはなんのこっちゃな題名なので
「汚れなき悪戯」という邦題のほうがいいかも。

その日、その村ではマルセリーノのお祭りがあるので、村人はすべて修道院に向かっていました。
一人の修道士が、その波に逆らって村に降りて行きました。
修道士が訪ねた先には病気で助からない少女がいたのです。
修道士は、どうして今日がお祭りなのか、少女と両親に語って聞かせます。

19世紀、フランスとの戦争のあと、3人の修道士が村の村長をたずねてきました。
村が所有する丘の上の廃墟のある土地を修道院にしたいので貸してほしいと。
村長は二つ返事で承知します。
村人も協力して修道院が完成、やがて修道士も12人に増えます。

ある朝、修道院の門前に男の赤ちゃんが捨てられていました。
修道院長は親の捜索をさせますが、両親とも死んだようです。
そこで、里親を探しますが、なかなかいい里親が見つかりません。
唯一赤ちゃんを引き取りたいと言った裕福な鍛冶屋は
身勝手な乱暴者なので修道院のほうが断りました。
そこで、修道院で赤ちゃんを育てることにしました。

村長は死に瀕していました。
村長は修道院の土地を修道院に寄贈しようとしますが、私有財産を持てない修道院長は断ります。
村長が死去し、新村長となった鍛冶屋は赤ちゃんをよこせと修道院に行きますが、また断られます。
新村長は報復として修道院の土地を取り上げようとし、村議会議員にサインを求めますが
「前村長はサインなしに善行を施した(修道院に土地を貸した)が
新村長はサインを悪用(修道院から土地を取り上げる)しようとしている」と断られます。

赤ちゃんは発見された日の聖人の名前を取ってマルセリーノと名付けられ、
修道士たちの愛情をたっぷり注がれてすくすくと育ちます。
5歳になったマルセリーノ、純真な心を持ついたずらっ子です。
馬車の故障で修道院に立ち寄った家族の母親に接し、マルセリーノは母親にあこがれます。
マヌエルという架空の友達を作って遊ぶマルセリーノを心配する修道士たち。

修道士がマルセリーノを村のお祭りに連れて行きますが、
マルセリーノが市場のリンゴを取ったことから連鎖的に大混乱が起こり、修道院を目の敵にしていた村長は激怒。
村議会議員を脅して修道院から土地を取り上げることにします。
1か月後出ていくように通告する村長。

マルセリーノは物置のある二階に行かないように言いつけられていますが、
好奇心の強いマルセリーノはためらった末、二階に上がり、物置の奥の部屋にある大きなキリスト磔刑像に驚きます。
マルセリーノは磔刑像がお腹を空かせているかと思い、台所からパンをくすねて持って行きます。
すると、磔刑像の手が動き、パンを取るのです。

マルセリーノはパンや葡萄酒や毛布をせっせと磔刑像のところに持って行きます。
磔刑像がマルセリーノに訊ねます。
「私が誰なのかわかるか」と
「うん、主イエス様」とマルセリーノ。
磔刑像はマルセリーノを祝福し、「パンとぶどう酒のマルセリーノ」と名づけます。

マルセリーノの様子がおかしいことに気づいた修道院長はマルセリーノと仲のいい修道士に原因を探るように言いつけ、
修道士はこっそりマルセリーノの後をつけます。
そして、磔刑像と語らうマルセリーノを見るのです。

「マルセリーノはいい子だから、望みをかなえてあげよう」という磔刑像。
「お母さんに会いたい。あなたのお母さんにも」とマルセリーノ。
「今会いたいか」
「今すぐ」
「では眠らねばならない」
「眠くないよ」
「眠らせてあげよう。お眠りマルセリーノ」
磔刑像はマルセリーノを抱き、眠らせるのです。

修道士は仲間の修道士たちを皆呼び、12人の修道士はイエスによって召されるマルセリーノを目撃するのです。

奇跡を見た修道士たちは何を思ったのか。
驚き畏れています。
マルセリーノと一番仲が良かった「台所さん」はマルセリーノの死を悲しんでいます。

この奇跡で、村人はすべて修道院に集まります。
そして、村長の提案で毎年その日をお祭りにすることに決めたのです。(村長の変わり身、早っ!)

5歳になったマルセリーノの可愛いことと言ったら!
この映画、このマルセリーノ役のぼうやを見つけたことで90%は出来上がったんじゃないかしらと思うくらいです。
もう、このかわいらしさで映画のすべてが納得です。

挿入歌の「マルセリーノの歌」は聞いたことがありますよ。
素朴で、善良で、心に残る歌です。

登場人物で悪役は新村長だけですね。
悪役もいないと善良さも引き立たないものね。

よくキリスト教的な言い方で素晴らしい人物、かわいい子供が亡くなったとき「主があまりに深く愛されて、御許に召された」と言いますね。
死んでほしくない人が亡くなってしまったら、残されたものはあきらめがつかないと思うのですよ。
だから「主に愛されて御許に召された」と前向きなことを言わないと、たまらなくつらかったのだと思いますよ。

修道士がこの話を病気の少女とその両親にしたのは、
やがて来る少女の死に対して、「主の御許に召されるのだから、心配ないのですよ」と言いたかったのでしょう。

疑問。
日本のお寺では、使わなくなった仏像を不用品と一緒に物置に入れるということはないような気がしますが
キリスト教では使わなくなった磔刑像を物置に放り込むということはあるのでしょうか。
それとも、ほんとうは修道士たちが磔刑像を物置に入れたことなどなく、イエスが世を忍ぶ仮の姿として勝手に磔刑像としてそこに来たのでしょうか。

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by hamhaha | 2014-12-22 00:01 | たわごと | Trackback | Comments(2)

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Commented by ろき at 2014-12-23 06:44 x
小動物のお墓を作る話じゃなかったっけ(それは「禁じられた遊び」だった)。
これはスペインの話なのですね。
人に何かを教えるためにこの世に来て、早く去って行く子供っていますね。
そんなに可愛い子役なんだ、見てみようかな。
Commented by hamhaha at 2014-12-23 19:41
ろきさん、こんばんは。
そうそう、スペインのお話ですよ~。
たった5歳でこの世を去ったマルセリーノ。
でも、残したものは大きいですね。
本当にかわいいのよ、見て~。
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