またも漢字の話を。
わたしが昔、北京に短期語学留学をしていたとき、
とあるアメリカ人学生(仮にジョンと呼ぼう)に訊かれた。
「漢字って、いったいいくつあるの?」
「はあぁ~?」わたしと中国人学生(張くんと呼ぼうかな)は顔を見合わせた。
ジョンはアルファベット26文字で間に合う国の人だ。
だが、中国語を学ぶと、漢字という面倒なものを覚えなくてはならない。
覚えても覚えても次から次と覚えなくてはならない漢字が出てくる。
漢字っていったいいくつあるんだ~。
どこにも漢字の数が書いてないぞ~、というジョンの素朴な疑問だったようだ。
だが、中国人も日本人も、漢字がいくつあるかなんてどうでもいい。
自分たちが使う分だけ覚えればいいと思っている。
知らない漢字が出てきても驚かない。
第一、漢字には正字、異体字などがあり、則天文字なども作られ、
日本で変化した漢字、現代中国語の簡体字、繁体字といろいろなバリエーションもある。
数を数えようなんて気にはならない。数える必要もない。
だが、26文字文化圏のジョンは承知しない。
ジョンにとって文字は有限(しかも覚えきれる数)なのだ。
さあ早く答えろという顔つきのジョンに答えなくてはならない。
ええっと、確か漢和辞典に書いてあったな。
「・・・・何万って数かな?」と、わたしは答えた。
「そうだね、何万だね」とすまし顔の張くん。
ジョン絶句。
「・・・・・・何
万・・・・・・?」
百の単位で言われることは覚悟していたようだが、よもや万という単位が出るとは思わなかったらしい。
「でもっ!君たち、何万という数の漢字を全部わかっているわけではないんだろう?」
と、ジョンが反論。
むっ、立ち直りの早い奴め。
しかも、どうして「全部」にこだわるんだ。
「全部は覚えてないけれども、8割方は読めるんじゃないかな」と、はったりを言うわたし。
「そうだね、そのくらいは読める」と、同調する張くん。
「8割方・・・」と、またもショックを受けるジョン。
ジョン、君は気づかなかったね。わたしが「読める」と言ったことを。
漢字は偏旁冠脚(へんやつくりの構成要素)というものがあり、
たいていの漢字は「つくり」のほうの発音をしとくと、だいたいあたっているのだ。
意味はわからなくても。
それを知らないジョンはしばらく茫然としていた。
だが、立ち直りの早いジョンはまたも顔を上げた。
何とかなるだろうと楽観視したらしい。
「日本語も漢字を使うって言ってたよね。
中国語をマスターしたら、次は日本語を学ぶよ」
さすがアメリカ人、不屈の精神だ。(?)
だが、わたしは追い討ちをかける。
「日本語は漢字だけではなく、ひらがなかたかなという文字も使うよ」
「その文字は全部でいくつあるの?」(「全部」にこだわる男、ジョン)
「それぞれ、50弱」
「・・・・・・」
その後、ジョンが日本語を学んだかどうかは定かではない。
ああ、日本人に生まれてよかった~。